tofubeats「FANTASY CLUB」

Reviewed by神野龍一

クラウドにある情報が雨になって落ちるとき、誰かにそっと傘を差し出すような

 

2017年の現在、日本のテレビでは大手携帯電話のCMでjustin bieberの歌う「what do you mean?」が流れ、今年TWICEがデビューする。2年前のヒット曲と2年前のアイドルが現れ、もしかして昨年、トランプ大統領は当選しなかったのではないか?とすら錯覚してしまうのだが、それもまたpost truthなのかもしれない。

 

現在の証券取引で「High Frequency Trading(HFT)」という売買方式が拡大しているのをご存知だろうか。これは、人の意思を介さない電子的な取引をアルゴリズムによって極度に高速に(High Frequency)やりとりを知ることで利益を得るプログラムだ。数万分の1秒の僅差を争うこの取引方式は、サーバーの位置をなるべく証券所の近くに置く、プログラムの実行速度を上げるためにCのようななるべく「原始的な」言語でプログラムを作る、というレベルで速度を争っているのだが、実際にするのは単純で「株が上がるという情報が出ると同時に売り、下がるという情報がでると同時に売る。取引が始まって終わるまでの間に済ます。」絶対に負けない「後出しジャンケン」のようなものだ。

 

現在では、「判断力の速さ」だけが優先されるのかもしれない。「で、要するに何?」と飛び込んできたものを瞬時に切り捨てる、もしくは取り入れる。それが「どういうもの」なのか、「いい」のか「悪い」のかといった価値判断などは単なるロスでしかない。無尽蔵に飛び込んでくる情報を捌く。見た瞬間に気に入れば右にスワイプ!嫌いなら左へ(あれ、逆だったかも?)。そんな行為をひたすら繰り返して、自分の欲望を上回る供給が与え続けられていると、自分がまるで情報を食べさせられ続けているガチョウのような気分になってくる。何も考えずにただ目を開いている時、自分の何かはフォアグラのように肥大化し、鈍感になっているのだろう。

 

そんな時、もしかしたらそういう行動をとることが、現在においては一番クレバーなのかもしれないと思う。ある出来事について、一つの流れができそうならそれに乗っかる。終わるまえにしたり顔でサッと引く。ある人への攻撃が始まり、誰かが石を投げ始めたら後ろから投げる。自分もそれをしているかも(間違いなくそうだろう)。もしそれで傷ついたり、よしんば殺したとしても、その石のどれが相手を殺したかはわからない。今の速度では届くころにはそこにはいないし、石を投げたことさえ忘れている。「で、要するに何?」その速度の中でpost truthは流されていく。

 

そんな景色がいたるところで散見される中、冒頭「CHANT#1」ではこう歌われる「これ以上は 気づかないでいい」しかしそれは逆説的だ。我々はすでにそれを知っているのだから。そして、それぞれ少なくともその行為に加担すらしている。できるのは、見て見ぬふりをすることくらいだけれども、それすら加担かもしれない。「SHOPPINGMALL」は「何かあるようで何もないな」という場所だけれども僕たちはそれを利用するし、もしそれがなくなってしまったら本当に何もなくなってしまうだけになってしまうからといった消極的な肯定性でしか語れないとしても。そういった問いをかけられたときに、瞬時に答えを出すのではなく、ふと立ち止まって考えること。それが重要なのかもしれない。

 

だからこそ、ほんの一時間でいい。時間を割いて聴いて欲しい。

みんな忙しいってことはわかってるし、世知辛いこともたくさんあるだろう。もう、新しいものを受け入れるのもこりごりかもしれない。自分の中にすでにあるものを繰り返し、補強して支えてくれるものだけを摂取して生きていきたい。もう何も持ちたくない。部屋だって狭いし、HDだって限界があるし、音楽や映像のサブスクリプションサービスはもうほとんど「所有しない」ことにお金を払っているようにすら感じる。それでもいい。サブスクリプションでもいい。tofubeatsの「FANTASY CLUB」を頭から最後まで全て通して聴いて欲しい。

 

できればなるべく、曲の頭だけをかけて飛ばし聴きなどをしないで欲しい。もちろんそういった編集権は所有したリスナーが持つべきだし、前作までのtofubeatsのアルバム「positive」「first album」「lost decade」はそうやって楽しめるようなバラエティとボリュームに富んだ作品だった。それまでのLPレコードからCDのコンパクト化に加えての「頭出しのしやすさ」はアルバムの評価方法〜ビートルズの名盤が「sgt.pepper」と「abbey road」から「revolver」と「ホワイトアルバム」になるような〜を変えるほどのパラダイムだったし、もはや今やsoundcloudの波形の変化を摘んで聴いて一曲のサマリーをつかむ、なんて聴き方すらしていることは知っている。だけど、今回だけは昔懐かしいレコードの「トータルアルバム」のように、時間をかけてじっくりと聴いて欲しい。たとえばヴァン・ダイク・パークスの「song cycle」みたいに。

 

一曲目「CHANT#1」オートチューンドゥーワップがスクリューされたところからつながる「SHOPPINGMALL」そこからビートの残響がつながってYOUNG JUJUのラップがfeatされた「LONELY NIGHTS」。その最後のフレーズからそのまま「CALLIN」の冒頭へつながっていく。

後半の「WHAT YOU GOT」からリプライズのフレーズがそのまま「THE CITY」の冒頭へ。そして最後、冒頭へ帰ってくる「CHANT#2」まで。

曲と曲をまたいでつながるフレーズや、展開の見事さに驚くだろう。そしておそらくそれには必然がある。それはこのアルバムが都市と都市のような「点」だけを高速で繋ぐ作品ではなく、その間に存在する郊外の街並みや、ハードオフがあるようなロードサイドの景色を描いた作品だからだ。discover of suburban.

 

ここでtofubeatsは繰り返し「わからなさ」を歌う。そしてそのわからなさを歌うことで、それらの距離を測ろうとする。即断せず、割り切らず、そして繰り返す。さまざまなリズムで、さまざまなメロディーで。

「CHANT#1」の低速スクリュー、そして「WHAT YOU GOT」の倍速。同じ楽曲の構成でも、BPMが変わるだけで「同じ曲」ではなくなる。それは同じ材料(卵、牛乳、砂糖)を使ってもプリンとカステラが違うもののように、しかし明確にではなくゆっくりと変化していく。例えばそれは殊更に情報量を増やし、BPMを上げ、情報圧縮しがちな現在のJ-POPに対する一つのアンチテーゼとしても聴けるかもしれない。

 

さらに「WHAT YOU GOT」では中間でリズムがtrapのリズムに変化する。楽曲が途中でtrapに代わるのは、「first album」での「CAND¥¥¥LAND」でも使われ、なおかつ最近ではbruno mars「24K magic」や韓国のHeize「shut up&groove feat.DEAN」でも使われた手法でもある。様々な解像度で見ること。そして「ここ」だけではなく外を見渡すこと。

 

Sugar Meをゲストボーカルへ迎えたスロウナンバー「YUUKI」から、少し毛色が変わって「BABY」へ。しかし、「BABY」も決してテーマからは離れていない。ここにあるのも、お互いの不理解を前提としたコミュニケーションであり、しかしそれを認め、信頼し、自分の重心を相手に少し預けるような、ささやかながら大事な一瞬の気持ちの動きを5分のポップソングに仕上げている。そしてこれは「lost decade」制作時のソングライティングのエポックメイキングとなった二曲「touch」「No.1」の二つの要素が重なり合った曲でもある。

正直なところ、自分はもっとこの「lost decade」前のtofubeatsの歩みを、もしメジャーの場でできていたら、と思うことがあった。サンプリングを脱し、楽曲構成や音の整理など、この時期のソングライティングの成長のプログレスを同時体験できた人たちが、自分の周り以外にももっと大勢いたら、と。しかし、それが杞憂に過ぎないことを本作を聞くことで反省した。過去を振り返るのではなく大事なのは「今、ここ」から自分を更新し続けること、作り続けることだ。「FANTASY CLUB」の示した一つの到達点は、それを自分に教えてくれた。

 

「OPEN YOUR HEART」はアルバムのインストナンバーの中でも、最もtofubeatsの、いやむしろdj newtownの作風を思い出させる楽曲だ。当時、J-POPや歌謡曲をサンプリング、エディットしながら制作された楽曲は、自分にまるでイカロスの姿を想起させた。郊外のニュータウンで制作された楽曲の、J-POP全盛期、90年代まではこの国にかつてあったはずの輝かしさ、明るさについての焦がれるほどの情熱。そこにオートチューンやサンプリングという「蝋の翼」を用いて手を伸ばしていく。近づいていくごとにその翼は焼かれてしまうことを知りつつも、身を焦がして手を伸ばしていく姿。それは、肉眼では見ることができないけれども、太陽に最も近い惑星である「水星」に至る一つの大きな軌道だった。

 

そして地元神戸の依頼を受けて「THIS CITY」人口増加を願って転調を繰り返して上昇していくメロディーや、8小節ごとに音色を変えていくこの楽曲に、かつてあった、tofubeatsの友人ある曲をフラッシュバックしてしまうのは、さすがに自分の思い込みが見せた景色かもしれない。それも一つの「post truth」として。

「わからない」のは「どちらでもない」のと同時に「どちらでもある」からだ。明確さに流れず、答えのない割り切れなさを抱えること。世界を分割しようとするナイフに抗い、無色の混沌とした存在である自分を受け入れること。それは長調でありながら短調でもあるような(ブルース!)、3拍子でありながら4拍子でもあるような(ファンク!)、男でありながら一方で女でもあるような(クラブミュージック!)混沌としたものを抱えながら生きていくこと。そしてポップミュージックはいつでも、マジョリティでありつつマイノリティーである人々のために奏でられてきた。このアルバムが、そういった心に何かを抱えた人、階段の途中で立ち往生をしながら考えいている今の人にとって、寄り添いを与えるような作品になるだろう。

 

少し長く語ってしまった。「で、要するに何?」と言われたら、自分はこう答えるしかない。

「僕は今、『FANTASY CLUB』を聴いている」

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