カテゴリー別アーカイブ: 金色夜叉

金色夜叉の可能性~吉岡里帆へ贈る#2

みなさん、吉岡里帆1stフォトブック「13notes」は購入しましたか?

東京では記念握手会があり、羨ましい限りですね。

そんな吉岡さんですが、プロフィールの趣味欄に「新派観劇」という言葉があります。ということで、今回はこの、新派と金色夜叉の関係を中心に書いていきます。

 

舞台版「金色夜叉」

 連載が開始するとたちまち評判になった「金色夜叉」。その最初の舞台化は翌年明治31年、『金色夜叉』は未だ中編を書き終えたばかりの時点で市村座によって舞台化され、これはたちまち評判になりました。「今月今夜この月を僕の涙で曇らせてみせる」の名台詞を、「小説」『金色夜叉』の代名詞として覚えている人も多い。しかし、これは小説の台詞ではなく、舞台用に簡略化されたものです。小説ではこうなっています

 

「吁、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから」

 

 これはつまり『金色夜叉』の本を読んだことのない人々に、この場は名シーン名台詞として広く語り継がれているということです。それは例えばパロディのコントなどによる二次創作などによっても知れ渡った部分も多分にあるでしょうが(youtubeで「金色夜叉」「寸劇」を検索すると大抵はこのシーン)殆どの人にとって、この熱海の海岸のシーンは後に海岸に銅像が建てられるほどこの作品のアイコンになっています。そしてそれは、新派演劇のこのシーンの解釈が鋭かったからにもほかありません。

ここで少し新派の話をしましょう。新派とは、明治に入って西洋の文化が輸入されると同時に、西洋式の演劇を日本でも上演しようという運動でした。そして、ここで「旧派」と呼ばれたのはそれまであった日本の演劇形式、つまり能や歌舞伎でした。つまり、その頃の日本には、演劇をしようとなると歌舞伎のような形式しかなかったということです。

当時、西洋演劇によって導入しようとしていたのは「リアリズム」です。歌舞伎のような大仰な格好ではなく、市井にいる人々の姿を描く芝居。それは、現代に生きるわれわれにとって普通のことと感じると思います。そして、歌舞伎の大仰さを「過剰」として受け取ってしまう。しかし、それら歌舞伎が「普通」であり、新劇のような芝居が「特殊」であった時代であったこと。それはわれわれにとって想像がしにくいものかもしれません。

少し脱線しますが、尾崎紅葉の名が退潮していったきっかけが、文学における自然主義そして私小説の台頭であり、その代表者であった田山花袋から「洋装をした元禄文学」と呼ばれたことで、紅葉は前時代の烙印を押されてしまいます。

これら「自然主義」や「リアリズム」と呼ばれたものが、この時代に人工的につくられていったこと、そして一般化していったことを意識すること。例えば我々はあまりに上手な絵をみて「写真のようだ」と言ってしまったりします。写真の発明より以前に写実的な技法は完成しているにも関わらず。写真が発明される前の人々はそれをどのように見ていたのか。そう想像することは現代に生きる我々にも重要だと思うのです。例えば、今「VRvirtual reality」に関する議論が旺盛です。私も以前PS VRを使ったことがあるのですが、専用のゴーグルをつけて見回した映像が眼前に迫ってくると、まるで匂いや雰囲気まで錯覚してしまう感覚を覚えました。そして、大事なのはそれを外した後に、現実の部屋をみた際、なにか非常にもやがかったような、味気ない空間だと感じた、ということでした。CGで美しく制御された空間に比べて、現実はあまりにもノイズが多すぎて、現実の印象のほうがピントが合わなくなっていくのです。

さやわかは「文学の読み方」において、文学を「錯覚」と定義しています。それを私は、文学が「リアリズム」という錯覚を獲得していく過程であり。そしてリアリズムこそ、当時の日本人が得た「VR」であると考えています。

元禄文学から見た紅葉

話を戻しましょう。新派による「金色夜叉」はしかし、歌舞伎しかしらなかった大衆に向けて現代劇を演じるのに、これ以上ない素材でした。作者自身が近松ファンであり、「洋装した元禄文学」と後に揶揄された(批判や中傷から最も的確な批評が生まれることはよくあることですね)紅葉の作品の中から、当時の観客は歌舞伎の要素を発見したのでしょう。

 

有名な熱海のシーンを見てみましょう。「今月今夜この月を僕の涙で曇らせてみせる」でおなじみのシーンは文字通り、曇った朧月夜が背景になっています。(ちなみに、このシーンは実際に読売新聞1月17日に掲載され、朧月夜だったそうです)この朧月夜は源氏物語「朧月夜の君」からずっと日本的情緒の在り方として描かれ続けていました。その代表として「三人吉三」の名台詞があります

 

月も朧(おぼろ)に 白魚の

篝(かがり)も霞(かす)む 春の空

冷てえ風も ほろ酔いに

心持ちよく うかうかと

浮かれ烏(からす)の ただ一羽

ねぐらへ帰る 川端で

竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)

思いがけなく 手に入る(いる)百両

ほんに今夜は 節分か

西の海より 川の中

落ちた夜鷹は 厄落とし

豆だくさんに 一文の

銭と違って 金包み

こいつぁ春から 縁起がいいわえ

 

当時の人々は朧月夜を背景にした台詞で、この三人吉三の名文句を思い出していたのでしょう。そして、その後貫一はお宮を蹴り倒すあの銅像にもなった有名なシーンになるのですが、この「逆上した男が女に暴力を振るう」というのも歌舞伎などでよく見られるシーンで、近松においては「心中天の網島」や、いうまでもなく「女殺油地獄」の影響が伺えます。そして、新派はその歌舞伎の要素をクローズアップして上演することで、より広い大衆に金色夜叉はウケていきます。

 

ちなみに「心中天の網島」は歌舞伎を現代化して上映している「木ノ下歌舞伎」が年末から再上演することが決定しています。自分の歌舞伎などの知識はこの木ノ下歌舞伎から学び啓発された部分がほとんどであることを告白して次回へと続くことにしておきます。

(続く)

金色夜叉の可能性~吉岡里帆へ贈る#1

突然ですが吉岡里帆さん、かわいいですよね。

京都出身のはんなりした雰囲気をもちつつ、芯の強そうな感じなどても素敵です。

2017年上半期のブレイク女優一位にも選ばれ、7月からは初のヒロインとしてドラマ「ごめん、愛してる」に出演。CMやテレビ、雑誌の表紙など毎日見ない日はないほどのブレイクっぷりで、昨年の夏、河原町駅で団扇を配っていたキャンペーンを身に自転車を走らせて駆け付けたのがすごい昔のようです。(間に合わなかった)

 

そんな彼女のブレイクのきっかけとなったのが、NHKの朝ドラ「あさがきた」。そこで、堅物な女学生田村宜を演じたことで、彼女の人気は急上昇します。そのドラマの象徴的なワンシーンとして、彼女が新聞連載の「金色夜叉」に夢中になるシーンがあります。

尾崎紅葉の『金色夜叉』は明治30年の元旦から、読売新聞紙上に連載が開始されました。当時の読売新聞は「大新聞」と呼ばれ、それまで小新聞と呼ばれた硬派な政治ジャーナリズムに加え、娯楽読み物などを加えたコンテンツで世間に浸透していきます。そのキラーコンテンツの一つが、当連載でした。

 

 

しかし、現在において尾崎紅葉、そして『金色夜叉』はほとんど知名度的には落ちている、といってよいでしょう。

それは文語体と漢学の素養による華麗な雅俗混交体に対して、2015年に生きる自分たちがあまりにも遠くなってしまったからでしょう。

例えば現在刊行されている、河出書房「日本文学全集」では、尾崎紅葉の名前は存在しておらず、最後の文語体作家は樋口一葉で、それも川上未映子氏による「現代語訳」がなされております。それほど、文語というものに我々現代人が遠ざかってしまったということでしょう。ちなみに、樋口一葉が亡くなったのは金色夜叉連載の一年前。日本文学全集の次の巻は口語文である夏目漱石で、彼は尾崎紅葉と同い年ですが紅葉没後にデビューしています。自分も、読み慣れない擬古文による雅俗混交体を、角川文庫から出ている山田有策によるガイド本を片手に、なんとか読みこなしたという程度の人間です。

 しかし、尾崎紅葉は明治最大のベストセラー作家の一人であり、そもそも「小説」のみで身を立てるということに成功した日本初のプロ小説家であり、『金色夜叉』は「流行小説」のはしりでした。読売新聞はこれによって部数を飛躍的に伸ばし、小説をむさぼるように読んだのは決して宜さんだけではありませんでした。それはメディアを含めて、大衆社会が誕生する萌芽の時期でもあったということができるでしょう。ある人は遺言として「金色夜叉の続きを棺桶に入れてほしい」といったほどです。

 

それは時代と場所、そして媒体を越え、様々なブームを巻き起こしました。それは弟子たちによって描かれた続編(スピンオフ)や、芝居や劇、はては音楽までのメディアミックスを巻き込んで明治の終わりから、大正時代を通じて高まっていきます。その名声は昭和3年、改造社から出版され後の「円本ブーム」の嚆矢となった「日本文学全集」の第一巻が他でもない尾崎紅葉だったことでも、当時なお紅葉の人気が高かったことがわかります。

 

おそらく紅葉の起こしたブームの残響は明治から大正を超えて、昭和の末までは届いていたように思われます。そして、それが現在途絶えてしまった。おそらく現代のわれわれが抱える日本の断絶の一つだろうと私は思っています。その一つが文語文であり、尾崎紅葉はそれまでの近松、黙阿弥などの元禄文学のエッセンスをふんだんに作品に込めつつ、それを近代化へ向かう日本人向けにチューンナップして執筆しました。その意味で紅葉の作品の残響は、そのまま江戸時代の残響でもあったといっていいでしょう。山本夏彦は「文語文」の中で、それまでの文語文の伝統までは、尾崎紅葉は元禄文学の継承者であり、樋口一葉は清少納言から続く日記文学の最後の系譜であったことを指摘しています。

連載が開始した明治30年から、時を待たずして『金色夜叉』は他メディアに翻案、今の言葉で言うメディアミックスされていきました。しかし、その際において、原典にはなかった部分、また間違いや勘違いといったものも多く散見されます。それは当時当時の人々の持つ価値観が移り変わり、その価値観が作品に反映されていったからであることはいうまでもありません。それはもちろん「現在」の私たちも変わりません。だからこそ今回私は吉岡里帆という現代最も‘旬‘な女優を触媒にして、明治、大正、昭和にかけて、日本人の経済観、恋愛観などは大きく変化し、それに合わせて作品の解釈も変わっていきます。この連載は、一つの作品の翻案などを見ていくことでそれを辿っていくことができたら、と思っています。

 

大塚英志は、「物語消費論」において人が二次創作へと向かう理由を「キャラクターへの愛」から発し、その結果男性キャラクター同士が同性愛関係にあるというようないわゆる「やおい」といった原作の逸脱性すらを生みだしていくと書いています。『金色夜叉』が生み出された当時の翻案は正確には「二次創作」ではない。しかし、そこには小さな所で原作への逸脱が含まれており、そこから翻案者や読者の「なぜそう読み取ったのか」という欲望を知ることができると考えることもできます。そこで、それらの翻案を見ていき、なぜ翻案者とそれを受けとった読者や観客はそのように『金色夜叉』を「誤解」していったのかを見て行きましょう。