プロダクトークアウト!月亭太遊×神野龍一×オノマトペ大臣#1

今月、別府で行われる「ベップ・アート・マンス」に一日一つの新ネタを一ヶ月連続で挑むという「ネオオラクゴ・ストラグル」に挑戦する月亭太遊氏を応援する一環として、今年2月に行ったトークイベント「プロダクトークアウト!」の様子を3回に分けてアップします。今回は第一回、新作落語を作る意義や落語のよさ、新作とはなどについて語っています!

神:神野龍一

オ:オノマトペ大臣

月:月亭太遊

神 今日はおこしいただいてありがとうございます。わたくし関西ソーカルという雑誌をオノマトペ大臣とつくっている神野龍一ともうします。よろしくお願いします。

オ オノマトペ大臣です。ラッパーを普段やっていまして、サラリーマンもやっているのできょうはネクタイを外して。よろしくお願いします。

神 私は関西ソーカルラジオというふたりでやっているラジオをやっていまして、また別できょうゲストに来ていただく月亭太遊さんという方と「bar moon palace」というバーでトークをするというイベントをやらせていただいていまして、きょうはその合同企画というかたちでさせていただくことになりました。

オ きょうは落語がお好きな方が多いのか、私たちみたいな、こういうの(笑)が好きな方が多いのか、探りかねているんですね。どちらが… 宗派対立というわけではないんですが。めっちゃ緊張しますね。

神 お客さんを入れて、というかたちでイベントをやるのは、ふたりでやるのは前回中津シカクでやった歌詞についてのトークに続いて二回目ですね。

オ 前回は狭いところにいたので、あまり緊張しなかったんですけどね。きょうはしっかりした人がいっぱいいそうなんで。前あれですよね、神野さんが落語心中の読書会をするってTwitterで告知したら二人だけで。

神 でそのあとソーカルラジオをやろうというときには一人でしたね。

オ そういうもんですよね。難しいもんです。

神 ちなみにここは大阪十三のカフェスロウっていう、もともとジュース工場だったらしくて、だからこんな空間があって。すごくいい雰囲気の空間で、ちょっと気を抜いたらアットホームモードになってしまうんじゃないかなみたいな話をしてたんですけど。こっちはソファで三人並んでやっているので。

 そろそろゲストをお呼びします。落語家の月亭太遊さんです。どうぞ拍手でお迎えください。

会場拍手

月 ありがとうございます。月亭太遊と申します。よろしくお願いいたします。ちょっとももひきみたいなの履いてきてしまって、納戸にいる爺さんみたいで。笑

 やるってなったのはいつでしたっけ。

神 2月のはじめじゃなかったですかねぇ。

月 すごいじゃないですかそれを考えたら。二週間足らずでこれだけ来てもらって。

神 情報感度が高いみなさんがいらしていただいて。

月 ツイ廃の皆さまが…。笑

神 すぐ時間がとれる人たちが。笑

月 いやいや、わざわざ時間つくって来ていただいて。本当にありがとうございます。

 どの観点から見てもね、ためになったな、面白かったなっていうようなものになったらってTwitterでも言っていましたがそれが一番むずかしいんじゃないかと。それぞれのジャンルがありますからね。

オ 人として生きていく道を説いて帰りたいですね。

月 それで言うたら、神野さんはいろんな業界を行き来しているじゃないですか。そもそも僕のところに興味を持って… 知り合ったのはいつでしたかね。

神 知り合ったのは去年じゃないですね。2015年とかだと思います。

月 もっと古いような気もしますけどね。錦湯来てからってことですよね。錦湯って銭湯で毎週一回イベントをやってるんですけれども、そこに来ていただいたんです。どういうふうな情報をどこで知ったんですか。

神 僕はきっかけは新聞ですね。京都新聞の記事を、当時働いていた店長に「こんな会があるで」みたいなかたちで。ああ、ついでにいうと僕も先進的な雑誌を作っている人として京都新聞に載せていただいて。その情報感度の高い京都新聞に載っていた情報を見て。

オ 凄いぶっこみ方しますね。笑

神 こんくらい張っとかないともうねぇ。笑

月 それはぼくらを信頼してくださいよ、「そういえば神野さん京都新聞に」ってなる可能性はありましたけど。でも朝日新聞も載って。ずるい!(笑)

神 大して実生活に差はないんですけど。

 月 そんだけ、このメディアに出たらみんなが知ってくれるとか、このテレビに出たら売れた、っていうのがどんどんなくなっていってるっていうなかで、僕はもともと漫才師だったのが26のときに落語家になっていま32(当時)なんですけど、十数年前深夜番組のほんの5分とか10分でただけでも顔を指さされたりとか芸人仲間からも「すごい、出てたなぁ!」と言われることもあったんですけど、そこからインターネットやSNSの環境に変わって、もう出ててもそんなになにも言われへんし、というのがテレビが昔とは変わってきてるんかもしれないですね。だからブームというのはつくりにくくなってる。わかりやすいやり方っていうのは。

※太遊さんはNSC26期生。同期には天竺鼠、かまいたち、藤崎マーケット、和牛、バイク川崎バイクなどがいる

オ ここだったら間違いないってあんまりないですね。

 

新作落語について

月 そんななかで、きょうはどんな話を? 落語の話をさせてもらってもいいんですよね。きょうは新作落語の話しますってツイートしてきちゃったんで。

神 このなかで新作落語を見たことない方っていらっしゃいますか?

月 みんな落語はだいたい生で見たことがあるって感じですね。落語を生で見たことがない、って方は別にそれで怒ったりはしないんで… イベントには来てくれてるけど僕の落語を見たことはない人もいるんですよね。

神 まあ二部の最初もそれは込みということで。二部構成になっていて、作品をやっていただいて、ここのネタをどうやってつくってるのかというのを…

月 めちゃくちゃやりづらいですよ。分析されたりとか、ぎゃーぎゃー言われたりとか。

 この三人はいろんなジャンルを出入りしているというか、お仕事をされながらですけれど、肩書はなんていうてます?

神 僕はライターって言ってます。

月 僕は最近無理やり神野さんのことを上方落語評論家ということにしていて。いないんですよね。上方落語を専門に評論しておまんまを食ってるという人はいなくて。

注:このイベントの後肩書に「上方評論家」を付けることになってしまった

神 落語作家とかはいますよね。

オ でも重要ですよね。そういうの。

月 いないってことは、そこで飯食えると思ってる人がいないってことだから、ま、もう既にビジネスが成立するんやったら誰かやってると思うんです。そこがぽんと開いてるということは、つまり界隈で上方落語にひっついてたら儲かるぞっていう人がいない。ということは、界隈は潤っていないというか、盛り上がっていないということがわかると思うんですよね。ましてや新作落語なんてなったら、なんていうんですかね、特別な意図を持たないとわざわざ新作落語だけやり続ける意味はまったくなくて、メリットすらないっていうか。東京ではおられるんですけど人数の絶対数が多くて。こっちは250人位ですか。東京はまあ何百人くらい…

神 700人くらい。両方合わせて1000人くらいの規模ですね。

月 東京やったらいろんな寄席があって、寄席っていうのはそういう機会が、それが何個もあるんでいろんなところにひっぱりだこになってる人とか、新作いれとこか? みたいなかたちで需要があるんですけど、関西は別にやるから呼ぼうなんてことはそんなにないっていうのが現状なんですよね。

神 特に、いまは落語ブームだと言われてるんですよ。

月 落語ブームって、聴いてるみなさんはどういう認識なんですかね。落語ブームっていう言葉を聴いたことがあるかどうか聞いてみますか。聞いたことがあるぞっていう人。

神 アニメとかも見たことあるぞ、みたいな人も多分。

 

観客、ちらほら手が挙がる

月 でもまだ半分くらいですね。僕らはもう落語ブームっていう前提でいろんな話してますけど、一般の方からしたらきょうこうやって興味もって来てくれる人ですら半分くらいしかいないということですよね。

神 溝がすごいあるなあ。東京は凄いブームってことになってるんですよ。厳密には二つ目ブームであるとか、若手くらいの人たちのブームであるとか、まあ、逆にそれは成金っていうそのなかでも一部のブームだとか規模についてはいろいろ言われてるですけど、事実として盛り上がっている。それに対して方や上方はどうなのかというとぜんぜんそんなことはないっていう。

月 前座、二つ目、真打ち、って聞いたことあると思いますけど、二つ目っていうのが丁度油がのってるって時期で、10年とかそれくらい、僕らくらいの世代のことですけど。ぜんぜんその、向こうはほんまに人気あって若い人や女の子も結構来てるって話あるし、落語会自体も数が多いから。主宰をしたいという人もいるらしいですね。プチ席亭ブームとか聞いたりしますけれど。自分がひいきの落語家を呼んで、居酒屋さんとかスペースで落語会をするという。オーガナイザーがいる。

オ 居酒屋行ってラップするみたいな感じですかね。

月 落語家はこまわりが利くんでね。その、そこが強いところかもしれません。音響のスタッフの力がなくても小さいサイズのイベントを打てるということですけれど。

神 それに比べると上方はそういう感じではない。席亭とかをやられている方は何人かいらっしゃいますけれど、昔ながらのタニマチというか、ブームっていう感じではぜんぜんないですよね。メディアが取り上げてくれたりとかそういう感じでもない。しかもなおかつ上上方の新作落語っていうと、さらにその中でのマイノリティで。新作は自分でつくったり落語作家さんがつくった作品を演るっていう、最近できたネタをやるということで、古典というのはみんなが知ってる、「時そば」であるとか、「寿限無」であるとかそういうネタをやったりすることなんですけど、ほとんどの上方落語ファンっていうのはその古典派の人ばっかりなんですよね。なので新作派の人には……新作をするくらいだったらちゃんと勉強しなさい、みたいなことを言われたりするっていうのが現状の上方の感じであるっていうんですよね。

 

落語が好きな理由

 

月 今喋っていてわかったのは、お客さんの気持ちも考えたときに、僕らは音楽も好きやし落語も好きやから、共通点を見いだしているじゃないですか。ラップと落語みたいなことをネタでやったりしてるんですけれど、それを面白いとか共通点があると思っているからそういうことをしているけれど、あの、きょう音楽のほうが好きな人が多いというなかで、なにが…… 落語のなにがええのん、なんで突然落語とか言い出してんの? みたいな。

神 そうですね、僕外向きには音楽レビューとかを書いている人ということになっているので。

月 良さをまず伝えないと。なんでハマったんですか。

神 きっかけ…… きっかけはもちろんお笑いはずっと好きなんですけど、落語が一番好きなのは、笑いに関してなんですけど、ある時期からほとんど笑いの価値がテンションに還元されてしまうような状況みたいなのを嫌だなあと思っていて。

月 ノリがよくてテンポが早いとか、声が大きいとかで受けてしまうとか。

神 「(元気よく)どうもよろしくお願いします~!」みたいな感じでやればとりあえず高感度が高くてって、そんな飲み会みたいなものをあらゆる場所で受け入れる必要はないんじゃないかと思って。そういうときにたとえば落語の笑いってそれだけじゃないなと思ったりしたのと。例えば、感情を表現するのに「喜怒哀楽」のうち、「喜怒哀」のものっていっぱいあるけど「楽」を表現したものってあんまりないじゃないですか。落語だと、「三十石」なんかで、ああ、これは「楽」だなあ、という感情を表現してると思うんですよ。あと内容とかでいうと、僕は落語で好きなのが、死を笑えるからなんですよ。ほとんどの他のジャンルでも死んだこと、死んだ後を笑いにすることって難しいんですよ。それに比べると、落語の古典ネタでも平然と死んだことが出てきて、それが笑いになっているし、死体もおもちゃにして遊んでしまう。落語家のみなさんも、よく歌丸師匠をいじったりするじゃないですか(笑)それができるようになったら人生なにも怖いことないじゃないですか。そういう部分が好きになったところですね。

月 僕のネタでもありますからね。死ぬやつね。ドリフのネタで最後に、「酋長の教え」というのがあって、部族に日本人が言って、次の酋長になれといって祭り上げられるんです。日本人が。で、どうもおかしいからいかりや長介のようなノリを真似して「オイッス!」って言ったら村人たちが凄い盛り上がって、そのオチが最後、あんまり調子にノリすぎたために白人の宣教師というのが村に来てて、村を乗っ取ろうとしていたのに邪魔をするなと言って最後に銃を後ろにつきつけられて殺されそうになるんです。そしたら村人たちが「酋長、うしろうしろ!」っていう。(会場笑)で、「駄目だこりゃ」って

(会場笑)

オ 面白いですねぇ。笑

月 で、「ババンババンバンバン」って歌が入って、次に「おぎゃあおぎゃあ」というシーンが入って、酋長の生まれ変わりが赤ちゃんになったっていうところでTo Be Continuedっていって終わるんですよ。今聞いてもらったらわかるとおりなんでもできるんですよね。落語っていうのは。

 

 いま話し聴いてて思ったのは、死を笑える、なんで笑えるのか、漫才やコントじゃあかんのかというと、漫才はあくまで情報なんですよね。だからこの人がこう言うたということになるし、コントならキャラクターに入ってやるっていう意味で、リアルな距離感も再現しながらやっていきますけど、落語が描くのは空間なんですよね。だから古典にせよ新作にせよ、長屋っていう空間。そこに出てくる人っていうのは、その人はゼロになるほうがいい、って落語で言われるんですけど、おばはんも出てくるし、おっさんも出てくるし、っていうけっして裕福な人ではないんですけど、奥行きが出てくることによって、まあ当然葬式とかもあるやろってみてるほうの許容範囲が広がってるんですよね。浮気とかもあるやろっていうような。漫才で浮気の話したらリアルに自分の話に置き換えられてしまったり、死ぬって言ったらあまりにもインパクトが強すぎるんですけど、誰々の葬式があってな、という世界観のなかで言ってたら納得できるというか。おおらかな時代のことを描いているから納得できるというのもありますけどね。いま葬式を新作落語で描いて死体をおもちゃにしたら、火葬場はなにしてんねんとか警察がどうって話になってくるんで、そこかなって思いますけどね。

オ 死人のかんかん踊りとかねぇ。

月 「らくだ」っていうネタがあるんですけど、そのらくだがろくでもない人間で、死んだあとにそれをおもちゃにして踊らせるんですよね。

オ かんがえられないようなことをやってますもんね。

落語はリアルかリアルじゃないか

月 あとそのリアルに役者が死体の役をしてとか、CGでってなると、青筋立ってるとか死後硬直とかリアルな話になってくんで、死体だっていうのを頭のなかに描いてもらうことで都合の良い、ちょうどいい解釈になるっていう。

 落語の理想としてリアルを描くことを目指している方もおられます。所作をきれいにしてとか。僕ははっきりいってそれを否定してるんです。それは全然落語の良さとは関係ないと思っていて、なんでかといったら、リアルに描かんほうが笑えるとか、情報としてはすっきりしているってなって、これは、小沢健二さんのお父さんの小澤俊夫さんという人の受け売りなんですけど、ドイツのメルヘンなんかを研究していて、ポッドキャストで「昔話へのご招待」という番組があって。

 

 民話って喋るんですよ。口承じゃないですか。だから文章にして文字に書いているわけじゃなくて、伝説と民話がなにが違うのかというと、伝説は何々時代、元禄何年、こうこう、何何村で……という、これは落語に似た芸能で講談というのがあるんですけれど、それは歴史モノとか難波戦記とかをテンポよくかっこよくやっていくのが講談なんですけど、それ伝説だと。

 じゃあ民話がなにかというと、たとえばの話をすると、ひとつ例を出すと、やまんばが出て来る話があって、馬に乗っておっさんが荷物を運んでるんですね。やまんばが刃物を持って後ろから追いかけてくる、と。荷持を寄越せ! そうせなお前を殺すぞ! いうて。それにビビって荷物をばーんと置いたら、山姥が食べ物を食べているので、そのすきに逃げていく。もうしばらくするとまた追いついてきて、もう片方の荷物をおろせ! というのでしゃあないからおろすとまた食べているので逃げる。でまた追いついてくると、馬の脚を寄越せっていうんですよ。そしたらそいつは脚をぶった切って投げてやって三本足の馬に乗って走っていく。またおいついてきて、もう一本足を寄越せというので投げて寄越す。二本足の馬にのって逃げるって民話があるんですけれど、これをもしリアルを追求したら、馬の血が噴き出してみたいな話をしないといけなくて。子どもさんなんかはもっと柔軟に受け止めるって言うてましたけど、すっと入ってくるじゃないですか。三本足って、なんとなくで納得してるんですよ。それは落語のいいところでもあるし、いろんな話ができるっていう技術的なメリットだと思ってるんです。それをなんだか、やれ仕草がどうのとか目線がどうのとか、あってもいいけれどそこを本質みたいにして言うのは違うんじゃないかって気付いて、というか思ってこういう動きをしだした。新作をつくりはじめたという……神野さんとはよくそんな話をしてるんですけどね。

神 そうですね。最初はその、太遊さんが錦湯で毎週月曜日に投げ銭で会を開かれてたんですけれど、最初は毎週一作新作のネタおろしをするというめちゃくちゃな挑戦を……

月 100本つくったんですね。何がすごいって、毎週それだけ月曜に仕事が入らんかったというのが奇跡なんですけど(笑)。というのは冗談で、入りたくても断ったりとかしてたんですけれど。そうなると、またプロダクト・アウトというテーマに戻ってくるところでもあるんですけど、文枝師匠のペースっていうのを、新作落語を月一本つくるってペースでやってるから何百本というネタを、三百本くらいですかね、どれもクオリティが高いネタをつくらはるんですけど、師匠がきにかけてくれてるんで話をしてくれるんですけれど、どういうペースでつくってるんですかというのを聞いたら、月一本つくりますから、十日間かけて取材ないし書くという作業をしたり、インタヴューしたり資料を集めたり、ラップのネタもあったりして。誰にインタヴューしたんですかね。

オ アキオーシックス(?)という、亡くなられた方

月 で、十日間、ラップのけいこをしたか知らないですが、残りの十日間で技術的な練習をするという。これで一ヶ月に一本、けっこう大きいところでやるんですけれど。僕は一週間ですから。月曜日披露するじゃないですか。それで一週間でつくりあげてまた月曜日に披露して、また次の月曜日に、とおっかけおっかけで、披露するときに次のテーマ決めたりちょっとした設定とか何個かのボケを決めながら披露しなくてはいけなくて、前半はほんとにひいひい言っていて、月曜の昼仕事入ることもあったりするんで。なんとかかたちにして披露するというのをやってたら慣れてきて、月曜日の昼から書き出して、三時くらいに出来て夜に披露するっていうペースになったんですよね。

 まあ毎週つくってはいたんですけど。クオリティもまちまちなんですよね。そこで完璧なネタをつくろうと思ったら一ヶ月でも足りないくらいだと思うんですね。ほんまに踊りのシーンが出るんやったら稽古してめちゃくちゃ勉強しないといけないかもしれないですし。

神 古典は百年単位の熟成をしているので。

月 うなぎのタレのような感じで、技術的にも洗練されてるし内容的にもおかしなところがないようにされているし、普遍的というか時代なんて関係なく受けるようなボケがのこっているんですけれど。週一の場合はとにかく間に合わすということが先なので。もう、まあ木曜日くらいにある程度できてて、これどう考えても破綻している、というのがわかってるとき、「これ成立してない!この噺!」と思ったら木曜日ですからね。やめるにやめられないですよ。おれがやりたいからやるんやという精神論においたてられて、とにかくそれを形にすると。その無理が生じてその無理を辻褄をあわせるってときに、「なんか自分のなかになかった発想やな」とか、「あんまこれまで見たことないタイプのネタやな」、っていうのが生まれてきたりするので、それがなんかプロダクト・アウトというか。作り手のエゴで先つくってもうてあとは見るなら見ろよ、ということの大事さというか。それでいいとは思いませんけど、作りたい人がつくって、それをどう届けるかという話をしたほうがいいなっていうふうに思えてきたんですよね。

神 それもそうですし、それこそ最初その錦湯でやってみようって言ったって、落語を見れるやんと思って来たんですよ。でまあ、そしたら新作毎週つくってますといわれて、なんでこの人はこんなしちめんどくさいことをしてるんだと。別に同じネタ使ったっていいじゃないですか。落語のいいところって、同じネタをなんど見ても笑えるところがあると思ってたんですけど、それを見てて思ったのが、古典的なネタをやるっていう会を毎週やってるんだったら、落語ファンは来るし、投げ銭で見れると思って来る人はいても、太遊さん自身のファンになるかというと難しいと思うんですよ。でも、新作落語を毎週見に来てる人は落語ファンじゃないかもしれないけれど太遊さんファンにはなると思うんですよ。そうやって続けていくということがプロダクト・アウトというか、需要自体を自分でつくっていくということに繋がるんじゃないかなとすごく思ったんです。

月 そのメリットがあるから、みんなが選んでもいいはずだと思うんですよ。みんながその人の世界観とかその人の考えを出しやすい新作落語を選んでいて、僕だけじゃなくて他に5人いたとしたらもっと話題になってると思うし、上方落語は盛り上がってるんです。でもそれを選ばないのはなんでか。それがひとつあったりして。きょうもそれをしゃべれたらなと。

 でも僕のネタで笑ってる人は他の古典落語を見ても笑うんですよね。つまりお客さんを育ててれると思っていて、落語家以外にも漫才とかも呼ぶんですけど、そういう人たちのことも能動的に見るっていうお客さんは育てていけてると思うんで。場所をつくれていると思っていて、こういうことをいろんなところでつづけていけたらと思ってるんですよ。それは、なんでそんなことを言い出したかというと、やっぱりふつうにネタやって、褒められて、ある程度の収入を得て、売れた、といえるような世界だったらこういうことを言い出さないという自身はあります。だから、もう草の根的に落語を観る人を増やしていかなあかんというのは間違いないなって研究した結果導き出したんで、しゃあないな、週一でやるか、みたいな発想に。あんまり夢いっぱいの生活ではないんですけどね。

オノマトペ大臣のスタンスについて

神 それこそプロダクト・アウトということで、よく大臣も普段音楽をきかないひとに音楽を届けたいということを言っていますよね。それこそ歌詞にユニクロとかサイゼリヤみたいな言葉を出したりとか、夜行バスからの景色を歌ったりとか。それはどういう感じなのかなって話を聴きたいんですけど。

オ 僕自身はサラリーマンをやっているということもあって、サラリーマンやってると周り誰も音楽聞いてないんで。友達とか、高校の頃一緒にGOING STEADY聞いてた奴だとか、全然聞いてないから。どうしてもそいつに聞けよと、兎に角おれの歌を聞けよと、そういうことを思っている。あとは山下達郎さんがインタヴューで、あの人の世代って音楽演っている人が多い世代で、学生のころはみんなやってたけど就職して今のぼくらと同じように音楽を聴かなくなっていくと。それを年に一度コンサートでまわっていくときにそいつらに見せるんだと。その人達のためにしか俺はやっていないということを言っていて、それはいいなと思っていて。一緒に年取ってる人に対してそのときどきのメッセージを出すっていうのが面白いなと思って。ま、それが頭のなかにずっとありますね。僕がやるときはだいたいそういうことを意識してやってるかな。

月 そういうときに付随してついてくる、たとえば女子高生が音楽を聴くというのは想定外なんですか、それともつくるときにはある程度広く向けてつくってるんですか。

オ ある程度はやっぱりそういうのも。

月 たとえば僕らの世代しかわからんような、バーコードバトラーとかそんなもんとかを歌ったって良いわけじゃないですか。それはしないんですね。

オ それはしないですね。それも、今の単語を入れたいなと思う。

月 そういうのを聴きたくて。フレーズとかの拾ってきかたというか、なんか本を読んだネットで調べたり若いお姉ちゃんと喋ったりとか、どういう方法で調べておられるんですか。

オ 特に自分の場合自分のレベルでしか書かないですね。情報多いタイプではないと思うので……

月 特別インプットに割くというわけではなく?

オ そうですね。

神 ふだんメモとかを書き留めたりもしないですもんね。

オ 一切しないです。

月 ラッパーというイメージが強いんでリリックをチラシ裏みたいなんに書いてるみたいな、そういうイメージが世の中的にはあるかもしれないですが。あんまり?

オ ぼくは日常を描きたいという気持ちが多いので、日常って用意されたものじゃなくて、毎日飯食って会社行って、過ごしている内に勝手に巻き込まれていくものだと思うので、そういう意識が強いのかもしれないですね。

 

神 それこそ文枝師匠が今のものもちゃんとチェックしているみたいに。僕は文枝師匠が出番の隙間に映画館に行って「君の名は」を見に行ったという話をきいて、自分はそこまでやってない!と思って反省して見に行きましたからね。

月 貪欲に情報を収集してはるし、子どもがなにかDSで遊んでたら「貸してみぃ」って奪い取ってマスターするまで遊んで「返してやおっちゃん」と言われるくらいにインプットを意識的にやらはる方なんで。だからこそいまでも新しいものを作れるというのはあるんでしょうけど。

神 そういう新作派の重鎮がいる中で、同じフィールドで闘っていても上方は違う方向に行かないといけないということですよね。

#2へ続く(文字起こし:imdkm)

〈月亭太遊ネオラクゴ・ストラグル出演予定表〉

プロダクトークアウト!月亭太遊×神野龍一×オノマトペ大臣#1」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です