オノマトペ大臣私論〜街へ出るのに何も捨てる必要なんてないさ!そう、iphoneならね

今年でオノマトペ大臣「街の踊り」がリリースされて10周年となる。今作は2011年夏にネットレーベル「maltine records」からリリースされた無料データが好評となり、2012年にアナログ版としてリリースされた。このような当初は無料でアップロードされている音源を有料でも、レコードという形で所有したいという需要は単なる衒示的消費ではなく、また10年が経った今も記憶に留められていることは、「オノマトペ大臣」という特異な才能に対する人々の敬意を現しているのだと思う。

オノマトペ大臣は2011年当時26歳の千葉在住。某大手樹脂メーカーで働きながら、tofubeatsとのコラボレーションなどで注目を集め、去年このコンビでリリースされた「水星」はレコードとしては異例のセールスをあげ、クラブではアンセムとして特に「締め」の一曲としてよくプレイされていた。おそらく殆どの人がこの奇妙な名前を聞いた初めての体験は、tofubeatsiTMSでの初配信となった「BIG SHOUT IT OUT」だろう。この曲には彼のラッパーとしての非常に興味深い点が散見されるのだが、それは後述するとして、当時「tofubeatsの同郷の友人」として共演した彼が、周りの人を惹きつけながら支持を広め、ソロ名義でリリースするまでに至る彼の魅力を、このアルバムから語ってみたい。

まずリリックに関しては、『サマースペシャル』にあるありふれた日常風景(本当にありふれた、アルバイトの一日の出来事)の描写、特に冒頭の「サイダーの泡がはじけとんだら」という歌詞から連想される、かせきさいだぁ≡ややナオヒロックなどのLBネイションの影響を感じる人も多く、『CITY SONG』の歌詞世界はどことなくpizzicato fiveの大都会交響楽の系譜を連想(by tofubeats)させ、これらの世界観がオノマトペ大臣が言うところの「元町海岸通り系」という90年代の「渋谷系」の系譜を次ぐスタイルとしての正統性を感じさせるのに十分な役目を果たしており、「天才ナードラッパー」という肩書きのイメージになっているのだろう。

しかし、彼のラップの才能はいわゆる「日常系」という言葉でくくるにはあまりに特異である。特に彼のフロウのセンス。初めて「BIG SHOUT IT OUT」を聴いたときの冒頭「スタンスがナイスのパンクでラップなヒップでホップのリズムでバウンス」のハウスの四つ打ちのリズムに完璧に沿ったラインを決めていき、そこをすこしづつずらしていきながら展開させていくという、トラックに対しての非常に鋭敏なリズム感と反射神経に舌を巻いたのだった。これは続くtofubeatsとの作品である「水星」での「ipod iphone から流れ出た」という出だしのフロウにも顕著であった。筆者はあまりラップについて詳しくないのでうまく影響関係などを説明できないが初めて聴いて連想したのはJay-zのラップスタイルだったが、おそらくオノマトペ大臣は彼を意識したというわけではなく、彼自身の趣味である日本語ラップ(ある年代の作品は新譜を全て購入してチェックしていたという)を聴いていくにつれ培われたものなのだろう。このセンスは今作でも遺憾なく発揮されており、『FRIDAY NEW ONE』もハウストラックのリズムに対して冒頭は「派手なキ/ックの音/・躍らす/ガンガン/コンバー/スナイキ/あんたは/何なん?」16分の譜割りでラップをし「咲いた/花の/美/しさも/うまく/語れ/ぬまま/時が/過ぎ」と3連符の4拍子に切り替えフロウの基礎単位を変化させることで展開をさせるといったテクニックはいわゆる「天然」といったものではなく、計画無しでできるものではないだろう。彼の書く歌詞はオノマトペ大臣という名前にふさわしく擬音語、擬態語が多用されているが、そこに含まれている濁音によって言葉にアクセントをつけていくといった点や、「当たりでるレベルで喰うガリガリ君」などの一行などはラ行と濁音によってリズムを修飾していくセンスなども一朝一夕でできるものではない。

そして、一体なぜオノマトペ大臣がこれほどまでに人を惹きつけてやまないという点に関しては、彼の歌詞の内容と、それと一貫している彼自身のスタイルがある。それは端的に言えば「楽しむ」ことを重要視するという点だ。僕たちは普段「楽しみ」を身の回りのものから分けがちで、また現在からも離しがちである。「辛い日常/楽しい祭り」や「しんどい現在/美しい過去」といった感じで、過去や非日常的な妄想を美化されたファンタジーとして見せる娯楽の蔓延や、「現実を直視せよ」という言葉は残酷さ、辛さをうけとめろという意味で使われるというように。またもっとも顕著なのが「大人/子供」という人の成長にある大きな断絶だろう。大人になるとはつまり前述したファンタジーを切り離すことである。基本、大人への娯楽というものは「消費」の一形態としてしか存在していないといってもいい。

しかし、オノマトペ大臣が顕著なのはそのような二分立から軽やかに逃れて、しなやかに楽しんでいる現在の姿である。これは「日常にこそ楽しい瞬間がある」といった、また一方であるようなありふれたメッセージではなく(この「こそ」という言葉が逆説であることを現している)もっと短く「日常、楽しい!」というようなもの、シンプルかつ柔軟な姿勢だ。彼は間違いなく仕事も、趣味である音楽活動も、おなじように「楽しんで」いる。大人を楽しんでいるのだ。彼のこのライフスタイルのあり方はまさに、正社員とラッパーの両立という現在の彼の立ち位置にも現れており、僕たち大人も含め多くの人を惹きつけてやまないほど彼の圧倒的なポジティビティを放っている(そして「Sence of Wonder」での、一方マルチネの誇るネガティブアイドル=mochilonとの共演での、見事なコントラストが今作でのハイライトとなっている)。このアルバムのタイトル通り彼は「街」が踊る=楽しむ場所として見えているのであろうし、また街の人々が踊っているように見えているのだろう。「踊る」とはつまり対象を自身の楽しみに変換するためのツールであるから。そして筆者はこれからもオノマトペ大臣が日常からどんなラップを作り出していくのか、結婚後やそして父親になった時、オノマトペ大臣がどんなラップをするのか(西松屋でほ乳瓶の種類の多さに戸惑うようなラップをするのだろうか)個人的には非常にそれを楽しみに思っている。

子供の頃に憶えた歌 時が経てば忘れちまうさ また子供と共に憶えりゃいいさ Hey,I’m just singing “ララ〜ララ” 『CITY SONG』

このアルバムは「S.U.B.urban」という曲で挟み込まれたブックエンド方式の構成になっている。この曲も特殊な拍子(6/8拍子)で少年時代の景色と現在がオーバーラップしている視点と、彼の個性が端的に示された小品で、夜の街へ繰り出す快速電車がまるで銀河鉄道のように見えるほど幻想的な世界観である。この曲を聴き終わると30分弱。郊外から街へ出かけるのにちょうどいい時間だ。何かを決断する度に、別の何かを捨てなければいけない時代ではないのだし、この曲を聴きながら街へ出よう。もし今日6月2日なら歌舞伎町でもいい。(*本レビューはWEBサイト「NETOKARU」にて2012年6月2日に「街の踊り」がアナログリリースされた際の公開されたものを、リリース10周年を記念して再掲させていただきました。この日にオノマトペ大臣も出演するマルチネレコード主催「歌舞伎町マルチネフューチャーパーク 」が催されていたため、末尾がこのようになっています。当時の記録としてそのまま転載させていただきました)

 

執筆:神野龍一