コラム 春にして梅田で君を想う オノマトペ大臣

四年間の千葉住まいを終えて梅田に帰ってきた。久しぶりに降りたったJR大阪駅(梅田)は、高校時代に毎日通っていた、それとはまるで別の巨大な帆船のようであった。隣接するデパートはJR大阪三越伊勢丹(150m)という名前で、大阪にこんなものができたんだぁと心底驚いたのを覚えている。

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それから三年が経った。2015年はバックトゥザフューチャーで向かう年、とたしか神野さんが言っていたけど、私にはバックトゥザフューチャーよりも未来を生きているような気すらしている。

2001年の頃、高校に入学した。私の通う高校は大阪の京橋という下町にあり、実家のある兵庫県西宮市から通う際によく梅田を利用していた。当時の梅田には、阪急百貨店や阪神百貨店、大丸、それからヘップファイブ(106m)という観覧車を備えた若者向けのファッションビル、それに併設された大人向けのヘップナビオ、ロフトの大きいビル、また若い女子用にエストというJR大阪の高架下を利用した施設があった。私はそこから結構歩いた北新地の近くにある丸ビル(123.92m)という円形のビルに足繁く通い、その中のタワーレコードで年中ヒップホップを試聴していた。

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それから大学生が終わるまでの間に、駅前に大きなヨドバシカメラができ、e-maというセレクトショップがいっぱい入ったファッションビルができ、ハービスエント(190m)というちょっと高級なデッカイ商業施設ができた。餃子スタジアムという謎な施設ができて、ゲームセンターに変わったり多少の紆余曲折はあったものの、基本的には一方的に梅田という街は発展しつづけた。

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大人になって自分が帰ってきたあたりではさらに発展し、JR大阪三越伊勢丹に、ルクア、ブリーゼブリーゼ、少しはずれにはNU茶屋町(114m)。一時は閉店していたJR大阪駅の地下街も復活し、さらに阪急百貨店は豪華絢爛な作りと馬鹿でかいオフィスタワーを備えた形(186.95m)に変化。

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大阪に帰ってきてから今日まで約3年程の間で、一つの街ぐらいデカいグランフロント大阪(179.5m)ができ、地下のちょっとした小道にはエキーモという店舗街ができた。JR大阪三越伊勢丹は中身を大きく変えルクア1100として生まれ変わわり、大きなユニクロの旗艦店も誕生した。

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目が回る。いま梅田に降り立つとどこが北か南か分からないほど、商業ビルがありこちらに手招きをしている。ここは本当に梅田なのか?わずか10数年でここまでなると誰が予想したことだろう。高校時代の俺に言ってやりたい、2015年のお前は毎週末梅田でばっかり飯を食ってるぞ、と。それでもまだまだ1000分の1位しかのれんをくぐっていない。

 

とんでもない数のバカデカイ商業施設が乱立しても尚、東通り商店街やかっぱ横丁大阪駅前ビルにDDハウス、阪急三番街といった昔ながらの商業街にもしっかりと店が抜けなく入っている。梅田は冗談じゃなく、自分が高校の頃より4倍ぐらいデカくなっている。最近大阪に転勤してきた上司もこのことにすこぶる驚いていた。まるで建物を吸い込むブラックホール状態だと。

 

しかし、このとんでもない街の密集化は他の地域には伝わっているのだろうか。非常に疑問である。

 

昔から関西人は東京に対してコンプレックスを抱きやすい。実際「東京23区」と「大阪市」を比較すると、比較するレベルじゃないほど、人口も建物の数も何もかも大阪は東京に歯が立っていない。

だけど、この空前の商業地区、梅田は面積当たりの商業ビルの率でいうと、恐らく東京のどの地区でも太刀打ちできないのではないか。

四年程前六本木に行ったとき、たしかに六本木ヒルズはすごかったけど、そのほか六本木に行けそうなところはなかった。渋谷もそう、東京駅ちかくもそう。どこもすごい大都会だけど、常識の範囲内であった。今の梅田は常識を超えている。ように見える。他はともかく梅田だけは勝つ、という方針なのかもしれない。

今度あの巨大な貨物駅が潰れたあとにまた何か作るらしい。本気なのか。

 

別になんのメッセージもないけど、こういうこと伝えておきたいなぁと思いました。今日も梅田で君を想う。

2015.4.30

関西ソーカルvol.3は9月8日発行が決定しました。内容の詳細はこちら。週末から開けにかけて神戸、京都、大阪での手渡し販売も行う予定です。詳細はまた追って報告いたします。