アートに触れる喫茶店  神野龍一

雑誌(こちら!)では京都で今は訪れることの出来ない痕跡地の話をしたので、WEBでは京都で訪れる事のできる場所、特に好きな喫茶店の話をしようと思う。もうすぐ芸術の秋、ということで「アートに触れる喫茶店」を自分の知っている中から3店。

 現在はスペシャリティーコーヒーがカジュアル化した形であるところの「サードウェーブ」全盛期であるが、やっぱり京都の喫茶店はファーストウェーブ、純喫茶の雰囲気もやはり捨てがたい。

 京都の老舗喫茶といえば河原町四条降りてすぐにある「喫茶ソワレ」。ここでは昭和期に美人画で名を馳せた東郷青児1897−1978)の絵がプリントされた絵皿や、コースターなど様々な絵を見ることができる。この店の名物であるカラフルなゼリーポンチを頼むと、氏の幻想的な作品世界に自分も入り込んだような気分になる。東郷青児は生前は浮名も随分成したということが宇野千代色ざんげ」などを見るとよく言われているのだが、いわゆる「美人画」の名人は女性関係がかなり派手だった人が多い。その美人画における大正期のスター竹下夢二も、女性のエピソードは事欠かなかった。

 そんな竹下夢二の美人画大正ロマンを引き継いだ画家に小林かいち(1896-1968)がいる。木版で描かれた彼の美人画は泣く姿やしなだれた姿をモチーフにしたものが多く、すこし病的でデカダンな雰囲気を醸し出していて、自分は特に好きな作家。昭和にかけての人気は根強く、当時関西にいた谷崎潤一郎の小説内で彼の図案が言及されていたりするほど。当時、男女交流の最もポピュラーであった手段、「文通」で最も使用されたのが彼の図案による便箋の数々でした。使われ方がなんか、今で言うLINEスタンプみたいですね。一時は消息もわからず、幻の画家とされていましたが2008年、息子が帯図案をしていた父の遺品の中から木版を発見し、小林かいちの出自が明らかとなりました。それによって近年再評価がさかんにされており、個人的にも彼の作った絵葉書や封筒などを復刻したり回顧展を京都でやってくれると嬉しいのですが…

 では今は彼の作品が見れないのかというと、実は現存しています。堀川今出川から西へ入ったところ、西陣にある「逃現郷」という喫茶店は2010年開店という比較的新しい店でありつつ、昔ながらの喫茶店の雰囲気を大事にしている喫茶店で、店の猫が迎えてくれる自分の行きつけの喫茶店の一つです。そこの部屋、奥に実は小林かいちのイラストが飾られていることはあまり知られていません。そこにあるのは彼の代表作の一つであるトランプの柄をあしらった四枚組の連作イラスト。訪れる際は是非ご覧になってください。

逃現郷

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 最後に紹介するのは、やはりこの人を触れずにはおけません。日本絵画史上最初に世界的成功を得た画家、オダギリジョー主演で映画化された藤田嗣治(1886−1968)。氏の絵を見ることのできるのは京都大学から少し歩いたところにある日仏会館内にある「ル・カフェ」。カフェラッテシルブプレ、このカフェはまさにおフランスとしか言いようのない雰囲気を味わうことができるのですが、ここに飾ってあるのが「ノルマンディーの四季」という油絵による大作です。これは36年、氏が画家として脂の乗った時期の力強さを感じることのできる作品です。

 これはいわゆる藤田嗣治における「前期パリ期」の画風ですが、実は後期の藤田の絵も京都で見ることができることはあまり知られておりません。京都御所を西へ入ったところにある「弘道館」は、かつて江戸時代に3千人以上の門下生を従えた儒者皆川淇園が創立した学問所でした。近年マンションが建てられることによる取り潰しの危機に合い、運動の甲斐もあって2013年、公益財団法人として保存されることになりました。現在はここで茶会やイベントが行われております。特に江戸期からある建築で炭を入れて茶を立てられる場所は貴重で、これに触れる贅沢を是非皆様にも体験していただけたらと思います。そこにあるのは晩年の作品が掛け軸で掛けられております。この時期の藤田の絵は少女のポートレートを描くことが多く、よく「奈良美智の原型」みたいなことも言われる作品です。

 

 自分が訪れた時、この場所での体験はとても贅沢なものでした。それは「吉坊ゆらり噺」という催しで、桂吉坊氏による落語を一席した後、木ノ下歌舞伎を主宰している木ノ下裕一と落語と歌舞伎の関係などを語り合うというイベントです。その時話した落語は「猫の忠信」夕方に天然のろうそくの明かりのみで聴く氏の落語はそこだけが江戸時代に戻ったかのようでした。少し桂吉坊氏の話をすると、氏は若干30代中盤ながら繁昌亭奨励賞を受賞した若手のホープで、故桂米朝の最後の内弟子修行者(直接の師匠は桂吉朝)。落語だけでなく邦楽、舞などの他の古典芸能にも造詣が深いまさにサラブレッドと言っていい存在。彼の話す落語は楷書を思わせる歯切れの良さと、正統派を通していけるしっかりとした技量を感じさせます。かつてエドワード・サイードグレン・グールドの弾くバッハを、バッハの作品構造を精緻に理解し、それを現代に再現させている様子をボルヘスの短編、ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」に例えて語ったようなことを、吉坊氏の演ずる古典落語にも言えるかもしれません。

その古典の造詣と技量、そして建物の設備が相まって、まるでここが江戸時代へとタイムスリップしたかのような体験をさせてくれます。

(さらに余談を続けさせていただくと、75年の神戸で行われたSF大会米朝が話した「地獄八景亡者の戯れ」はどこかに保存されていないのだろうか。このSFと落語の特異な交差の記録をどうしても掘り返したいところです)。

 

 落語の後の対談では、「猫の忠信」の元ネタとなった歌舞伎の演目「義経千本桜」の話をへ。ここで登場するのは狐が忠信へ化けて鼓の皮にされてしまった自分の両親へ会いに来るという話を、落語では猫の皮、鼓を三味線にしたことや、その演目の見せ場、特に猿之助による狐の素晴らしさなどを熱く語り合っておりました。(ここで一つ付け加えると、この狐の皮で作られた鼓の名が「初音の鼓」といわれており、それが「義経千本桜」で使われていること、ピンときませんか?そういえば、「千本桜」はニコニコ大会議で演じられましたね。「初音」と「千本桜」こうやって古典から現代は繋がっているんですね)ここで語っていた吉坊氏も木ノ下氏も、ともに古典芸能を引き継ぎ、それを現代にいかにアップデートしていくかというテーマに挑戦している二人、そのリスペクトの深さは自分の胸に深く響きました。

 

 とまれ、江戸〜大正〜昭和にかけての文化、そしてもちろんそれを「少し前」に入れてしまえるほどの歴史を抱えている京都はまた、新しい物を取り入れつつ、それをそのまま別々に保存している街でもあります。ちょうど、新京都学派として名を馳せた今西錦司の「棲み分け理論」のように、一つの時代区分ごとにそれらが並列に保存されている街、京都。関西ソーカルvol.3には、その京都の90年代、クラブカルチャー勃興期の歴史を書いた、田中亮太氏による特別寄稿も頂きました。「京都クラブカルチャーの歴史」ぜひご覧ください。