木ノ下歌舞伎「糸井版・摂州合邦辻」を今すぐ見るべき3つの理由

驚くべきことに、世界は底が抜けている

2/10 木ノ下歌舞伎「糸井版・摂州合邦辻」@ロームシアター京都(初演)

観てきました。まだ、レビューという形で書くには早すぎるのですが、とにかくこれをできるだけ多くの人に観に行ってもらいたい!、という気持ちを込めてお勧めします。

 

歌舞伎の演目を木ノ下裕一が現代劇の俳優、演出家とともに作り上げていく「木ノ下歌舞伎」、project羽衣の糸井幸之介と演出タッグを組んだ第二弾は「摂州合邦辻」。四天王寺に伝わる「俊徳丸伝説」を元に、それ以前から存在する能「弱法師」説経節、そして戦後でも「身毒丸」などの派生作品が生まれているこの話は、そもそもが当時「古典を題材に現代化した演目」という、重層的な構造になっている。それをさらに歌舞伎の現代化である「木ノ下歌舞伎」がどういう解釈を行うか。昨年のレクチャーシリーズから参加し、期待を高めて観覧したのですが…

 

結論を言うと、「期待以上の傑作!」でした。

摂州〜及び他の俊徳丸伝説のエッセンスを各所にこめつつ、なにより糸井演出の特徴である「人間の個人の生のドラマと、宇宙及び世界の成り立ちを等価に語る」というテーマと、本作との相性が素晴らしい!

冒頭歌われる現代を舞台にした歌の

マクドナルドの窓際のカウンター席で

若い物理学者が計算してる

宇宙の終焉までどのくらい?

しょっぱい指を舐め」

というところから、主人公俊徳丸の因縁語りが始まります。

人間関係の網に翻弄され、絡め取られてしまった俊徳丸が病を持ち、失明しながら四天王寺で日想観を行う。この日想観こそが、夕日の動きを追いながら極楽浄土を想起するという行なのですが、その人間関係の狭さの末に日想観の宇宙の成り立ちについての思いが並列しているというのがまさに糸井世界。前作、「心中天網島」もそうでしたが、糸井氏の演出及び音楽は人間の「情」の描き方が素晴らしく、古典世界の人間と現代に住む我々とを一直線に繋いでくれます。

 

そしてこの、「俊徳丸伝説」が能の時代からなぜ何度も語り直され続けているのかということも、おそらくはその点にあります。俊徳丸が行う日想観の景色は、そしてそこにある世界の法輪をこの伝説は描き出しているのです。容姿にも家柄にも最も恵まれた男が最も醜い姿に身を落とす。その「聖」と「卑」が決して対極ではなく、むしろ隣り合い、容易に反転し得るということ。世界には穴が空いている。失明した俊徳丸の目から涙が溢れるように。そしてそれこそ、「芸能」を担ってきた人々のあり方そのものであるということ。それを今作は教えてくれます。

 

前段は俊徳丸の死と病の物語から、後半は玉手御前の激しい生のドラマが展開していくのですが、ここからの話は あえて 控えさしていただきます。

もちろん自分は摂州合邦辻のストーリーを知った上で観覧してしまいましたが、もし、現在摂州合邦辻のストーリーを知らない、という方がいましたら、自分はあえてネタバレを禁止し、なにも調べずにそのまま劇場へ向かってください!と言いたい。ここから展開する生の反転のドラマに、ストーリーに翻弄されて鑑賞できるというのは、とても幸福な経験である、と私は主張したい!その人は「オイディプス王」や「猿の惑星」まるで初めて見た観客のような体験をできるチャンスがあるということなのだから!そして古典歌舞伎では、おそらく話の筋を追うという鑑賞は現在ほとんど不可能であるし、そもそも通し上演すらままなりません。それを可能にしているのも木ノ下歌舞伎だけなのです。ぜひみなさん、そのまま劇場へ!

 

上演予定

2/11 ロームシアター京都

2/15~16 穂の国とよはし芸術劇場PLAT

3/14~17 神奈川芸術劇場KAAT(予約売り切れ日あり)