tofubeatsは神戸のモーツァルトではない。

これはtofubeatsについての評論を執筆せよ – 新・批評家育成サイトのために、後にまとめる予定の「tofubeats論」の草稿の一部から、特に2016年ごろの彼についての箇所を抜粋したものである。

tofubeatsは、2016年にNHKアニメ「クラシカロイド」でモーツァルトの音楽を担当する。ここで「クラシカロイド」の設定とかの説明をするのは煩雑になるので大幅に省略させてもらうけど、かいつまんで言うとモーツァルトの音楽をもとにアレンジし、歌ものポップスとして再構成するという試みだ。ファーストシーズンの「アイネクライネ ナハトムジーク」はこの番組のカラーを象徴する一曲になったし、セカンドシーズンからの歌は主にミュージカル「モーツァルト!」でも初演時、主役のモーツァルトを演じた中川晃教がボーカルをとっている。ここでもtofubeatsはクラシック曲ベースにソングライティングをする素晴らしい手腕を見せている。

https://www.youtube.com/watch?v=XOUeXEMSRMY

ただクラシックをベースに、といってもその中でもモーツァルトは特殊に「イジり」にくい題材でもある。普通、作曲作品ならその曲想の核心や主題といったものをまず押さえることができればそこをベースに自由に翻案していくことができる。ただ、モーツァルトに関してはそういう主題や着想みたいなものが曲が発展していくうちに変わったりしてしまい、主題そのものを探すのが難しい。それは思いついたように頭から下書き無しで書くというモーツァルトの作曲のスタイルにも関係しているんだけど。かつてモーツァルトについて書いた小林秀雄の「モーツァルト」の冒頭で引かれていたように、ゲーテもそういうことを言っていたし、その小林秀雄の批評をボロクソに批判した高橋悠治が述べている「モーツァルトの音楽には背骨がない」という言い方がまさしく彗眼で、他の作曲家たちが一つの建造物を建てるように作品を作っているのに比べて、一つの軟体動物がうねうねしたり、アメーバ状に拡散していくといったほうがモーツァルトの作品イメージにはピッタリで。そしてその不安定さこそが、主題を重視された古典期には軽薄だとか内容がないと軽く扱われたにも関わらず、むしろ現代になってからその寄る辺なさ、不安定さこそが現代的な感覚とマッチしてモーツァルトが支持されている理由でもある。なにせ浅田彰は「構造と力」の最後のチャート表のポストモダン枠の中に「疾走するウォルフガング」と書いているのだから。(ちなみに浅田彰モーツァルト評はピアニストであるグレン・グールドへの批評の中で間接的に言及されている。)

        

そして、モーツァルトtofubeatsになにか特殊に共通しているところがあるか?と考えると、正直そんなに思い浮かばない(笑)。作曲スタイルでいうと、tofubeatsほど作品に手を加え続ける人もいないんじゃないってくらいの人だし。まあそれはバッハとつんく♂や、布袋寅泰とベートーベンだってそうで、この中では比較的音楽イメージが若いとか言うこともできるけどそんなの音楽史的にだって時系列でもならんでないし、そこになにか無理やり膠を継ぐようにしてもしょうがない。そもそも大文字の「音楽史」だって、まるでドイツ音楽が突然生まれたかのように現れてその前までのイタリアオペラの興隆なんてオミットされているしね。じゃあなんで自分たちはドレミをイタリア発音で呼んでるのかっていう。そこからドイツ語オペラを頑張って作り出そうと奮闘したのがモーツァルトで、それを圧倒的にマッシブにドイツ民族音楽として完成させたのがワーグナーなんだけど、ワーグナーはそのせいで色々な歴史的経緯であんまり言及できない…みたいなひねくれたものだし。ちなみにこれは妄想に近いものだけど、小林秀雄モーツァルトは敗戦後初めて書かれた小林秀雄の評論で、最初にこれを書いたということのある種のネガとして、ワーグナーの存在はあったんじゃないかなと思う。

じゃあポップスにおいて最もモーツァルト的な才能をもっている作曲家は誰だろう?と考えると、自分はブライアンウィルソンだと思う。活動初期には軽薄なポップスとして消費されていたのが、ある時期から、具体的には世界で村上春樹が読まれるようになってから現代の孤独な個人の内省を含んだ音楽として認識されるようになったという外側の認識だけではなくて、彼の繰り返しながら変化して行くメロディーセンスや、全体的な構成とか考えてないんじゃないか?と思うような独特な曲展開など。正直ブライアンウィルソンは12ないし16小節以上の曲構成を本来考えれない人なんじゃないか、と思う時がある。有名なまるで三曲分のアイデアが入っていると言われる「good vibration」だって、むしろそれぞれの曲想が全く繋がってないだけとも言える。実のところ別々の曲想だったものを一曲にくっつけるなんてのはポップスの世界では日常茶飯事で、「my revolution」なんかは有名な話。

その16節回しの曲でも冒頭に帰ってくるための構成が非常に大胆、もっというとすごい強引っていうのも同じで、例を出すならモーツァルトピアノソナタの最後のフレーズ、それまでの展開しきった曲をどう収めるかと思ったら最後のたった三音で終わらせて冒頭に戻ってしまうところと、beach boysの「god only knows」のメロディー16小節目の折り返しなんて本当にそっくりだと思う。

https://open.spotify.com/track/6iGU74CwXuT4XVepjc9Emf

の38秒〜の箇所と

https://www.youtube.com/watch?v=cUkHdt2im6M

1分35秒〜からの箇所

その結果入れられる唐突なフレーズとか。これについては小田島久恵さんがツイートで的確に指摘している。

https://twitter.com/hisae_classical/status/636386355862306816

https://twitter.com/hisae_classical/status/636391166070489089

https://twitter.com/hisae_classical/status/636394936187777024

さて、そのブライアン・ウィルソンなんだけど、彼の「pet sounds」はスタジオレコーディング作品として革新的なことを成し遂げたアルバムとして知られている。当時英国からやってきたthe beatlesのショックと、アメリカで先進的なスタジオサウンドを構築していたフィル・スペクターという巨大なライバルへの対抗心からブライアンが狂気スレスレになりながら作ったこの作品は60年代リリース時には聞き手はおろか歌っているメンバーさえ理解が届かなかったのに、80年には前述したような作家性とともに語られるようになり、90年代には「音響派」の魁として語られるようになった、誰にも文句をつけようのない「名盤」だ。そしてスタジオで行われたサウンドの「実験」の数々は、実はtofubeatsのデスクトップの中の世界にも影響を与えている。ひょっとしたら、本人も知らないところで。それをいまから説明してみよう。

例として取り出すのは、tofubeatsの「NO.1」この曲はそれまでのヒップホップ的なアプローチで、ループ構造を元に作られていた曲から初めて明確なコード進行に伴った歌モノでかつDメロ(大サビ)の登場など、tofubeatsのポップス的な作曲スタイルとして一つの完成を提示した曲だと言えるだろう。その曲と比較しながら語っていこう

https://www.youtube.com/watch?v=bQWxxdGsSSk

「pet sounds」のスタジオ実験の中で有名なものに「ベースのこだわり」がある。まず、その音階。CDアルバム内の山下達郎のライナーでも言及されているように、このアルバムでのベースはコードの主音から外れるというか逃れるような音を出している。ロック史においてもちろんそれを最初に始めたのはポール・マッカトニーで、厳密にいうと「rubbersoul」の「nowhereman」あたりからなんだけど、それは作曲家とは別のプレイヤー意識の「分業」として生み出された手法をブライアンが一人で再統合を行った。もうここらへん、コードの主音って何?みたいな音楽詳しくない人はぶっとんだ話をしているけど、例えばコードが「吉田」だったら、普通はベースは「よっちゃん」とか「よっしー」みたいな音を出さないと行けなかったのが、ここからとつぜん「ちゃんよし」とか「だーしー」場合によっては「でんきち」みたいなニックネームになりだした、みたいに思ってくれたらいい、のか?(笑)結果、ポップスにおいてもコードに分数だらけになって「これはⅢ/Ⅰ7なのか?むしろⅢm6として解釈したほうがいいんじゃないか?」みたいなことになったりするんだけどそこまで自分も詳しくないのでここまでにして、tofubeatsも作曲において、本人もインタビューで述べてるように基本的にコード進行自体は同じものを多用しがちなんだけど、そこにベースなどで変化をつけていくということを言っている。実際、「NO.1」のAメロなんてそれがすごく効果をあげている。 またその音も、普通は一本あれば十分なベースが複数、しかもアコースティックベースとエレクトリックベースの両方が使われている。これはアタックの明確な音と豊かなサステイン(残響)というそれぞれの特性を利用するためで、実は「NO.1」のベースもその二種類の音を使っている。

これについては、自分がトーフくんと直接聞いたことがあって、彼はこのアイデアを、なんと角松敏生のライブ映像からヒントを得たらしい。角松敏生が自身のライブでベースも同じように2本、さらにドラムも電子ドラムと生ドラムを配置しているのをみて、それをDTM上に再現したという。しかしなんという編成!それをライブで組む角松もすごいけどそこから着想を得るtofubeatsもやっぱり天才だわ。そして、この角松とブライアンの音楽には明らかに影響関係があり、そこからtofubeatsは角松から影響を受けている、という関係が導ける。tofubeatsモーツァルトは直接は似ていない。しかし、似ていない両者の間にも、このような補助線を引くことができる、それこそが文化の力とも言えるんじゃないだろうか。

繰り返すように、tofubeatsは「神戸のモーツァルト」ではない。その似ていないことの最たるところは、彼が「神童」と呼ばれなかったということが挙げられる。彼が史上最年少の15歳でWIREDに出演し、高校時代からリミックスで頭角を表していた後、大学時代にスムーズにメジャーデビューできていたら、きっとそう呼ばれていたと思う。それこそ、「水星」や「NO.1」がメジャーで出されていたら。でもそれは色々な出来事が重なってそうならなかった。正直なところ、自分はもっとこの「lost decade」前のtofubeatsの歩みを、もしメジャーの場でできていたら、と思うことがあった。サンプリングを脱し、楽曲構成や音の整理など、この時期のソングライティングの成長のプログレスを同時体験できた人たちが、自分の周り以外にももっと大勢いたら、と。

でも今は、そんなキャリアの積み上がり方であった場合、もしかしたらそれはけっこうしんどいやり方なのかもしれないな、と思う。モーツァルトの場合、それこそ生前の環境ではは常に「元神童」というイメージに常に囚われていて、成功した元子役のキャリアみたいな扱いになってしまって、大人になってから彼がやったことのちゃんとした意味はほとんど理解されなかったんじゃないか、特にいつまでも青春時代だけを繰り返し消費するこの国において、それに付き合い続けることはかなり大変だから。そうならなかった現在を自分たちは生きている。スタジオをパソコンの中に閉じ込めた青年が、大人になり、世界や他者との距離感を測りながら生きていく。「FANTASY CLUB」や映画「寝てもさめても」の主題歌「RIVER」はそうならなかったからこそ生み出されたtofubeatsなのだから。

着想を思いつくままに、まとまりがなく、軽薄に書き連ねてしまった。それこそまさにmozarticに。とぎれることないけどつかめない。