神戸詩人事件

この原稿は2013年関西ソーカルvol.1「関西人物列伝」に掲載したものを再掲しています

亜騎保〜逮捕された詩人

 

山師のやうな

ホホヅキを鳴らし

貝殻派の下宿に

アミダをひけば

ポムプをになつた牡猫と雄鶏がでてきたり

オンドリをくはえた伊勢名物のセルパンが

職業的に啼いてゐたりした

二階のパイプ磨きがユタンポにぬくもり

安価な気候に於て些少のタビを考えた

藪ン中を歩く修身の午後よ

眠らないでをくれ

(「レモン畑の意地悪」より抜粋)

 

この、シュールでありながら作者の伸び伸びとした想像力を活き活きと感じさせる詩を書いたのは亜騎保という、大正4年生まれの詩人だ。

彼は昭和の初期から詩人としての活動を開始し、当時の勃興しつつあったモダニズム運動、シュルレアリズム運動に呼応しながら、独自の視点でそれらを咀嚼しつつ、輸入技術にとどまらない日本的な風土というよりかは、一つ上の世代である稲垣足穂一千一秒物語」にも似た、当時の新開地を中心とする神戸の異人や、怪しい物売り、貧しい人などが入り乱れた騒々しい、がやがやした突拍子もなく、しかしどこか牧歌的な雰囲気を感じさせる自己表現としての詩を書き続けた。

様々な詩誌を送り出し、旺盛な活動をしていた亜騎の活動はしかし、昭和15年に一旦思いもよらない形でストップすることになる。それが、「神戸詩人事件」である。

 

神戸詩人事件は1940年、詩誌「神戸詩人」に参加していた詩人14人を検挙。発案者であった小林武雄や竹内武男はもとより、参加者であった亜騎も同様に逮捕される。

これは、シュールレアリスム運動の本場であるフランスで、運動参加者たちがこぞって共産党に入党したりした(これは批判をかわすためのポーズの意味合いが強かったらしい。後に運動の主導者であるアンドレ・ブルトンは除党)ことで、シュルレアリスム共産主義者というレッテル貼りをした兵庫県特高課によって、打倒天皇制を目論んだとのデッチ上げを食らい、結果として、亜騎は懲役2年、執行猶予3年という厳刑を受けることとなる。しかし、この亜騎の詩のどこをとってみても、そのような反体制的な態度など微塵も感じることのない。

アウシュビッツ以降詩を書くことは犯罪だ」と言ったのはアドルノだが、戦時中の治安維持法があったころ、このような極めて非政治的な作風である詩人でさえ一旦当局に目をつけられてしまうと、罪を被せられることなどいくらでもありえたということだ。一説によると、シュルレアリスム独特の奇異な言い回しが、「反体制派の暗号ではないか」という疑いすらあったらしい。そしてそれは、新たな文化運動、芸術運動を目論む若者たちに対する、他の者からの奇異(時には嫌悪を持った)な目線によって排除されてしまうことも度々ある。

現に2010年代には、大阪や福岡など地方を皮切りにどんどんクラブへの規制が厳しくなっており、経営者たちが「ダンスをさせた」という罪から検挙される例が起きており、それについての是非が問われていた。その結果大阪のクラブが軒並み閉店と営業時間の短縮を余儀なくされ、大阪のクラブカルチャーの活動は一旦停止されているか、ほぼ死んでしまっているといってもいい状態となっていた。その後、風営法の改正と同時に一部の認可店は営業を許可されるようになり、公式に「国際都市にナイトライフは欠かせない」というにあたって筆者は戦後すぐに教科書に墨を塗った小学生のような気分にすらなったものだった。

「詩を書くこと」と「踊り続けること」、それでも戦時下において反戦的な詩を書き続けた反骨の詩人金子光晴のように活動をすることはできないまでも、「反戦」「反政府」のようなメッセージやもちろん「体制寄り」の立場に立たなくとも、そのような気負いなく、自由に行動し、言葉にすることができる世の中であって欲しいと心から願う者の一人として、このような事件があったという事実、それに巻き込まれた詩人がいたことを語り残しておきたいと思った。

足立巻一「親友記」には、勾留から戻ってきた亜騎から、普段は本音を吐くことの滅多にないこのシャイな詩人の、このような一言が残されている

 

「取り返しがつかん、の一言に尽きる!」

 

大阪、本町にあったクラブ「nuooh」。多くの若手DJや新規イベントなどが行われたこのクラブも同じように風営法からのクラブ規制で営業時間を短縮され、フロアにはテーブルや椅子が設置された「飲食店」となった後、2012年5月閉店を余儀なくされた。その最終公演、関西若手No.1DJオカダダの入魂の四時間ノンストップのDJを聞きながら、僕自身このような現状に怒りを禁じえず、フロアにあるテーブルや椅子を端に放り出してしまった。一旦終わってしまったものは、前と同じようには取り戻せないのだ。

 

参考資料『兵庫の詩人たち』君本昌久・安水稔和編 神戸新聞出版センター

『親友記』足立巻一 新潮社

神戸新聞の記事より